世界に広く知られるアイコンブランド、ハーレーダビッドソンの歴史とその魅力

キング・オブ・モーターサイクルとも言われるメーカー「ハーレーダビッドソン」。
バイクに詳しくない方でも名前は知っているという、世界に広く知られるブランドです。
このコラムでは、クエルボ・イ・ソブリノスと同様に、歴史を積み重ねてきたモーターサイクルブランドの魅力を紹介します。
 
 

ハーレーダビッドソンとは

ハーレーダビッドソン

ハーレーダビッドソンは、創業から118年を数えるバイクブランドです。
その歴史と個性は、世界中の人々から羨望の眼差しを集めています。
生産されるオートバイの最大の特徴は、大排気量のV型ツインエンジンが奏でる、独特の排気音と鼓動感。そして重量感ある車体と唯一無二のワイルドなデザイン。
これに魅了された愛好者によるオーナーズクラブや、ツーリングイベントが世界中で開催されており、多くのファンが存在します。
展開するモデルは、基本的にアメリカンクルーザーのみでしたが、近年では現代的なモデルも発表され、ラインナップを拡充。ハーレー初の量産電動モデルも2021年、ついに日本国内でデビューしました。
世界シェアは第5位。国内でも現在、輸入二輪車の新規登録台数で1位となり、4割弱のシェアがあります。
 
 

ハーレーダビッドソンの誕生

1903年、アメリカのウィスコンシン州ミルウォーキーで、ウィリアム・S・ハーレーとアーサー・ダビッドソン、そしてアーサーの兄ウォルター・ダビッドソンの手によって、3馬力の単気筒エンジンを搭載した「ハーレーダビッドソン第1号」が作られました。
キャブレターにトマトの空き缶を利用するなど、手作り感あふれる一台でしたが、この偉大なる一歩をきっかけとして、1907年、後に大きく飛躍するモーターサイクルカンパニー「ハーレーダビットソン」が創業されます。
 
 

Vツインエンジンの登場と激動の時代

ハーレーツインエンジン

始めは単気筒エンジンを搭載したハーレーでしたが、数年後にはVツインエンジンを開発。
生産台数も拡大し、現在、ハーレーダビッドソン社の本部がある場所に建てられた工場は、2階建て、そして5階建てと変貌していきます。

第一次世界大戦には、参戦したアメリカ軍からオートバイの生産を命じられ、ハーレーは戦闘で使用された史上初のオートバイとなりました。

1920年には67カ国にディーラーを持ち、世界最大のオートバイメーカーとなって順調に推移するものと思われましたが、1929年、世界恐慌が発生。2万台あった売上は4千台弱にまで落ち込み、大きな打撃を受けました。それでも積極的にラインナップを拡充しつつ、産業用エンジンやサービカーと呼ばれる実用車の発売などで乗り越えていきます。ちなみに、サービカーは70年代まで生産されました。

インディアンモーターサイクルとともに、世界恐慌を耐え抜いたハーレー。
勃発した第二次世界大戦でも陸軍のオートバイの生産を余儀なくされましたが、戦後は民生品の生産に戻り、さまざまなモデルを展開していきます。

この時代は、36年に「ナックルヘッド」48年に「パンヘッド」66年には「ショベルヘッド」など、名作エンジンが次々と生み出されています。また、57年には、現代の人気モデル「スポーツスター」も誕生し、当時市場を拡大していたイギリス製バイクに対抗しました。
 
 

AMF傘下からの再建と復活

欧州車や日本車のシェア拡大に押され、小型排気量車の流行もあって、品質保持に傾倒していたハーレーはコスト高になってしまい、60年代後半、ついに経営難に陥ります。
そこで、アメリカの大手機械メーカーAMFと業務提携を結んだハーレーは、同グループの一部門になり「AMFハーレーダビッドソン」と改名。タンクのロゴにも、AMFの文字が付け加えられることになりました。
しかし、徹底したコスト削減と生産の合理化によって、品質の低下を招いてしまいます。そのブランドも大きく毀損することになりました。

一方で、69年にはハーレー乗りのバイブル的な映画「イージー・ライダー」が封切り。多くの若者が支持します。日本にもチョッパーカスタムが広く知られるようになりました。
さらに、現在のダイナファミリーにも通じる「スーパーグライド」が71年、伝説のモデル「ローライダー」や、歴代ハーレーで唯一のカフェレーサー「XLCR」が77年に発売されるなど、不朽の名車がこの時代に誕生しています。

70年代後半のさらなる品質の低下とユーザー離れに、危機感を募らせたハーレーの役員13人は、81年、AMFから株を買い取ることで、再び独立を取り戻しました。
 
 

エボリューションエンジンの登場、ハーレー新時代

ハーレーダビッドソン

暗黒時代と呼ばれたAMF傘下時の汚名を返上すべく、ハーレーは新設計の「エボリューションエンジン」を開発。耐久性を向上させ、軽量化も果たしたこのエンジンは86年、人気モデル「スポーツスター」に搭載され、世に送り出されます。
新しいハーレーの経営陣は、当時アメリカ市場を席巻していた日本車に寄せるのではなく、むしろレトロな味わいを全面に押し出すことにしました。初期のモデルや、オーナーのカスタマイズ風味を採用した路線を打ち出し、品質改善の努力もあって、売上は徐々に回復していきます。

90年代には、現代にも受け継がれるモデルが次々と登場。
「ファットボーイ」と「スタージス」が91年、翌年には「ダイナ・デイトナ」が発売。ファットボーイは後にベストセラーモデルになります。
98年の新型エンジン「ツインカム88」、そして2003年にはハーレー初となる水冷エンジン「レボリューション」が発表され、近未来的で斬新なスタイルの新型モデルも次々と登場。
ハーレーは新たな挑戦をすることでファン層を拡大し、新時代を迎えます。
 
 

大排気量化、そして創業120年へ

ハーレーの乗る男性

2007年にデビューした「ツインカム96」の排気量は1584ccでした。2010年には「スクリーミンイーグルツインカム110」という、1801ccのエンジンを搭載した最強のクルーザーモデルの登場によって、大排気量化の時代が到来します。同時にインジェクション化も施されました。

ローライダーやファットボーイなど、30−40年続くモデルを大事にしてきたハーレー。
しかし2019年、初の電動ロードスポーツ「ライブワイヤー」を、大手バイクメーカーに先駆けてハーレーが発表し、世界を驚かせます。
圧倒的な加速と航続距離235キロ、満充電60分、そしてクラウド接続と、今までとは一線を画する、未来からタイムスリップしたかのようなモデルが、ハーレーで誕生しました。

ハーレーダビッドソンは今年、創業118年。
その伝統を守りつつ、新たな未来に向かって進化し続けています。
 
 

キューバの素晴らしい伝統とハーレーダビッドソン

葉巻を吸う男性とハーレー

カリブ海に浮かぶ美しい島国、そしてクエルボ・イ・ソブリノスの故郷でもある、キューバ。
日本でキューバといえば、キューバ革命の主役であるチェ・ゲバラが有名でしょう。
その息子、エルネスト・ゲバラ氏は現在、海外からの観光客をターゲットとして、バイクでキューバを1周するツアー会社「ラ・ポデローザ・ツアー」を運営しています。
そこで使用されるバイクが、ハーレーダビッドソンなのです。

キューバでは、車は親から子へ大切に乗り継がれるため、1950−60年代のアメリカン・クラシックカーが行き交っています。経済封鎖の影響もあって街並みもレトロで、首都ハバナは50年前と変わらない風景とも言われており、独特の景観と伝統を感じることができます。
そのキューバを、車体の随所に高級時計のようなアナログさが味わえるハーレーダビッドソンで駆け抜けるツアー。参加した人は口々に「素晴らしい旅だった」と絶賛しています。

古いものを大事にする、キューバの素晴らしい伝統。
そして、まさにトラディショナルと表現できる、ハーレーダビッドソン。
古きものに敬意を払うという姿勢は、クエルボ・イ・ソブリノスにも通じる価値観ですね。

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